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蒋介石「結婚式は日本で挙げたかった」…宋美齢への“求愛”で資料


当時の日本の軍部と言うより政府は、親日家の蒋介石ともっと腹を割って話し合うべきだった。

「中国大陸を侵略してるイギリスやオランダと言う欧米列強植民地主義国からアジアを開放するために、日本は戦います。欧米列強をアジアから追い出した後は互いに力をあわせてアジアを守りましょう」と。。。

そういう努力を怠ったのは確かに失敗だったかも?

挙句に、蒋介石は何をトチ狂ったのか?中共と手を結ぶ始末・・・。

幾ら正義の戦いであっても、手順を間違ったのが悲劇の全てだ。




=======================記事内容=========================

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100217-00000030-scn-cn


台湾の国民党党史館の邵銘煌主任が、「当館が保存している資料に、蒋介石の宋美齢に対する求愛の過程が記録されている」と語った。中国新聞社香港支局は16日付で報じた。

 蒋介石の活動や心情が書かれているのは、蒋中正(蒋介石)日記抄本。蒋介石が初めて宋美齢に会ったのは、上海市内の孫文の旧居で、「一目ぼれ」だったという。蒋介石は国民革命軍を率いて北伐を遂行したが、転戦のたびに手紙を書き、「江西省の南昌に行くので、会ってほしい」など、デートの申し込みもした。

 1927年3月と5月には、「一日中、彼女のことをおもっていた。心が離れない」など、情熱的なことばもあるという。

 同年9月には、宋美齢が結婚のプロポーズを承諾。蒋介石は11月、日本に滞在していた宋美齢の母親に会いに行った。日記には「お母さんはうれしそうだった。喜んで(結婚に)同意してくれた」と、むしろ、母親の了解を得たことで有頂天になる、蒋介石の心情がうかがえる記述がある。

 蒋介石は、孫文にならって、日本で結婚式を挙げる意向だったという。当時の日中関係は比較的安定しており、日本での挙式は実現可能だった。ただし、中国では1919年の五四運動などで、対日感情が悪化していた。蒋介石・宋美齢の日本での挙式は、母親の反対で実現しなかった。

 ふたりの結婚式は上海市内で1927年12月1日に、上海市内のホテルで行われた。招待客は1000人で、「政治目的の結婚」との批判もあった。しかし、結婚してから半年後の蒋介石の日記には「北伐成功は、妻の助けがあったから。(妻には功績の)半分がある」と書かれており、邵主任は「蒋介石は結婚したことで、賢夫人による精神的な支えを得た」との見方を示した。

プロフィール

China Free Furufuru (impressed2008)

Author:China Free Furufuru (impressed2008)
【说假话的人中国人讨厌】

媚親中派の売国奴達は「中国経済が崩壊したら中国人が難民となって日本に押し寄せてくる!そうなったら大変なので中国を支えなければならないのだ!」と言ってますが、マジでそう思ってるとしたら相当なバカです。

中国から何億人もの難民が飛行機で飛んで来るの?
それとも、客船で?
では、東シナ海を泳いで来るとでも?

そんなバカなことを危惧してるのはエリート官僚や経済人です。
要するに東大法学部を卒業していてもその程度の思考しかないのです。

小生も仕事柄、今まで沢山の東大(または国立大学)法学部出身の上司に仕えてまいしりましたが、記憶力は確かに天下一品ですが、思考力と応用力は同志社大学の学生の方が格段に秀でていると確信しています。^^

頭の悪い東大法学部の言葉を信じては国が滅びます!

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